瀬戸内寂聴さんは満97歳。朝日新聞に連載している「寂聴 残された日々」を毎回楽しみに読んでいます。ご高齢にあって生き方、死生観などを書かれているからです。寂聴さんは今なお現役の文筆家で、毎月連載の原稿に追われる日々ということです。
今月のお題は「二つの誕生日に」でした。ご自身の誕生日は母親の胎内から生まれた日、もう一つは出家得度した日ということです。出家し天台宗で得度し岩手の天台寺住職に就任され、人生の苦労、愛などをテーマに青空説法をされるなど多くの人に慕われてきたのはご承知のとおりです。
このエッセーで遺言についても触れていましたので職業がら興味を持ちました。少し長くなりますが引用します。
・・・もちろん、遺言も一行も書けていない。そんなものを書く間もないくらい、今、渡す原稿にせかされて、うろうろしている。
・・・生き延びる先のことなど、さすがに考えられなくなってきたが、それでも遺言は一行も書けていない。「遺言」と題だけ書いた原稿用紙が何枚も、あちこちから出て来るが、題だけで後はすべて余白である。・・・
寂聴さんは、「原稿に追われる毎日、何事にも始末の下手な私は、毎年、死後の始末を考えることが出来ない」と嘆いていらっしゃいます。寂聴さんの本、エッセイを楽しみにしている多くの読者がおられますので、お気持ちは十分に推察いたします。
遺言は争いをなくすためにも大切なものと教えられています。有名人が遺産相続をめぐり週刊誌を賑わすこともよくあることです。先日も高倉健さんのことが話題となりました。これは一市民としても終活という面で予め準備しておくことが必要なのかも知れません。寂聴さんは多忙と言ってもいずれはしっかりした遺言を残されるものと思います。いつも楽しみにしている寂聴さんのエッセーを読んで感じました。